2班の人たち。「八幡社」は、源経基の臣下であった源仕が天慶4年(941)に現在地に京都の岩清水八幡宮から勧請したものである。仕の孫の渡辺綱によって神田(八幡田の地名あり)が寄進され、再興された。
「箕田碑」:箕田源氏に関する伝承を碑にして永く後世に伝えようと、宝暦9年(1759)に地元有志が埼玉郡上之村(熊谷)の龍淵寺三十世で全国的にも著名な曹洞宗の学僧指月慧印(しげつえいん)に依頼して撰文したもの。
碑文は源経基の無量寿堂建立の伝承に始まり、箕田の地と源仕や綱との関係が述べられている。背面には、渡辺綱の辞世の和歌と芭蕉の句などが安永7年(1778)に追記されている。
交通量の多い旧中山道は避けて、裏道で次の目的地「平右衛門遺跡」第3次発掘現場に向かった。 国道17号上尾道路の建設工事が始まると、次々と遺跡が出て、埼玉県埋蔵文化財調査事業団により発掘調査が行われている。
第1次~第2次調査では、古墳時代末期~奈良時代初め頃の大型住居跡や中世の溝跡などが発見された。調査が終わると埋め戻され、高崎線をまたぐ形で建設される高架橋の橋桁がすでに出現していた。
「平右衛門遺跡」第3次調査が行われている場所。ここは大宮台地の西北端部にあたる鴻巣市箕田にある集落遺跡である。
今回の第3次調査では、奈良・平安時代の竪穴住居跡、中・近世の深い溝跡や土壙、井戸跡などが発見されている。
埼玉県埋蔵文化財調査事業団の人から詳しい説明があり、質疑応答も行われた。
見学後は、また裏道を通って箕田公民館に11時45分に戻った。朝礼を行った集会室で、島村館長から閉会の挨拶があり、終了した。一人の落後者もなく、無事に終わることが出来た。
終了後、鴻巣ガイド会の熊谷が昔話を二つ朗読して、お聞きいただいた。 ①昔ばなし「渡辺綱の鬼退治」 ②「勝負沼のはなし」・・箕田源氏の源宛(あつる)と平将門の叔父で熊谷市の村岡に居を構ていた桓武平氏良文との一騎打ちの話。