昼食後、一般道からの駐車場からマイクロバスに乗り、「源長寺」へ
「源長寺」:伊奈氏の菩提寺。関東郡代の伊奈半十郎忠治が、居城に近い赤山の地にあった古寺を再興して、伊奈氏の菩提寺とした。
本堂でご住職から伊奈家の興隆について説明を受ける。本寺開山に当たっては、両親の菩提寺である鴻巣勝願寺の円誉不残上人を特請し迎えた。
「伊奈家累代の墓」:4代忠克以後代々の墓があり、5代忠常建立の頌徳碑(ショウトクヒ)には、忠次・忠政・忠治の業績が刻まれている。
執事の駒井さんから説明を受ける。徳川家二代将軍秀忠公が日光社参の途中、錫杖寺を休憩所と定め、三代将軍家光は昼食をとられ、御朱印20石を賜った。
江戸城大奥最後の年寄「瀧山」の墓。瀧山は十三代将軍家定公、十四代将軍家茂公の年寄を勤めた。開城後は、侍女仲野の生家(川口)船津家へ移り住み、夫婦養子を迎え瀧山家を興した。明治9年(1876)71歳で死去、錫杖寺に埋葬された。
伊奈町教育委員会文化財担当の小杉さんから、「伊奈陣屋」の説明を受ける。伊奈忠次は徳川家康の関東入国後は代官頭として、武州小室・鴻巣領1万3千石を与えられ、小室郷に陣屋を構えた。
伊奈氏屋敷跡「二の丸跡」の説明板。忠次はここを拠点に利根川流域の治水・利水工事と新田開発、検地の実施、街道の整備に力を発揮するなど、徳川家関東支配の基礎を築いた。慶長15年(1610)6月に死去し、鴻巣の勝願寺に葬られた。